理事長就任挨拶

『精神現象の不思議さへのリスペクト』

日本精神病理学会理事長 鈴木 國文

 2016年10月から中安信夫先生に代わって日本精神病理学会理事長に就任いたしました鈴木國文です。この学会は1970年代の終わりに富山在住の8人の先生方が全国に呼びかけて始めた精神病理懇話会をもとに、笠原嘉先生、宮本忠雄先生、木村敏先生、安永浩先生、中井久夫先生などがこれに参画することで大きく発展した学会です。これまで、木村敏先生、松本雅彦先生、村上靖彦先生、中安信夫先生という、それぞれ時代を牽引してきた先生方が理事長の任に就いてこられました。こうした歴史を継いでこの重責を担うことになり、誠に身の引き締まる思いです。諸先輩が拓き、踏み進んだ道を少しでも前へと拡げるべく、微力ながら専心する所存です。どうかご協力とご支援、そしてご指導をお願いいたします。
 私が精神科医になったのは1979年ですから、すでに38年も前のことです。その間ずっと、臨床の現場と症例検討の場、そして机の上を行ったり来たりしながら、ただただ精神の病理について考え続けてきたように思います。臨床現場では驚きを、症例検討の場では勇気を、さらに机の上ではワクワクとした高揚を、それぞれ深く身に感じながら、それらの感覚を体に染み込ませ、精神の病理について何がしかの文を書き続けてきました。  それは、精神の病態について観察し、その時点での視野でとらえ、どう対応するかを考えるための枠組みを作り、そして、また精神の病態へと戻ってその枠組みを壊し、再び作り直すということの繰り返しだったように思います。そうした繰り返しの中で、私は、いつからか精神科の疾患概念というものが通常の疾患単位とはいかに異なるものかということに思い至るようになりました。DSM-Vが浸透し、古典的な疾患分類体系が崩れ始めた頃からだったと思います。DSMという体系は、精神科の疾患概念というものが、いわば星座、つまり蟹座、オリオン座、サソリ座といった星座の名のようなものだということを教えてくれたように思います。
 いえ、決してDSMの悪口を言っているわけではありません。古典分類ですらそうだったという意味でそう言っているのです。そしてまた、星々に星座名を付して呼んでみることが、無駄な営みだと言いたいわけでもありません。古来、人類は、星座を見つめることによって、己の位置や年月の流れについて知り、結局は宇宙について何がしかの知を得てきたのです。精神の営みについても、そしてその逸脱についても、星座のような知の枠組みをもたなければ、惑星の如きものの存在すら知ることはできないでしょう。きっと、優れた星座的な知というものがあるのです。星座をもとに思索することを、私はすばらしい知的営為だと信じています。ただ、問題は、どんな星座を描くか、です。
 精神の病態について、生物学的、心理学的、社会学的側面という言い方が、特に病因について語る際によくなされます。あたかも三つの原因がそれぞれ別にあるかのように語られるわけですが、実際のところ、起きているのは精神の病態というただ一つの事柄であって、この三つは、見る方の視点の相違に過ぎません。それは、学問の側の見方の分類であって、当然ながら、心理的要因も生物学的要因を介さずして作用することはなく、社会も脳という器官なくしてあり得ません。また逆に、心理に絡むことのない人脳の営みを想定するのは難しいでしょう。むしろ問題なのは、どれか一つに還元してしまおうとする学問の側の姿勢であって、三つの要因が絡まって起きていることをただ一つの要因へと還元しようとする挙措は、おそらく精神のような現象に対しては、通用しないと思われます。精神病理学は、決して精神病態の心理・社会的側面だけを扱うものではありません。むしろ、この三者が絡んでこそ精神現象が現出するということを、常に大切にしてきた学問だと言っていいでしょう。精神現象がもつ多様なアスペクト、つまり、決して一つの要因へと還元できない不思議さについて、それを握りつぶさぬよう、精神病理学は大切に抱えてきたと思うのです。
 いま、世界は、情報技術とグローバル経済の原理によって一つの塊としての動き始めている一方で、自国の利益優先の国家主義が台頭し、いわば二方向に大きく引き裂かれながら激変の時を迎えています。そうした中、個人の精神はバランスを失い、何を規矩として生を前へ進めればいいのかつかめないまま、茫然としているかのように見えます。しかし、精神の病態は、こうした激変の時を迎えるずっと以前から(少なくとも私自身が精神科医になった頃以来ずっと)社会の変容と連動して、常に変容を示してきました。少し考えただけでも、統合失調症の発症様相の変化、うつ病像の変化、不可思議な犯罪の増加、発達障害の増加など、新しい病理現象は枚挙にいとまがありません。いまは、そうした変化を前に社会そのものが愕然としているといった状況と言えましょう。
 当然ながら、精神病理学には、こうした様々な新たな精神現象に関し何らかの見解を示すことが求められています。私たちの学問に寄せられる期待は実に大きいのです。しかし、世間がこの学問に寄せているのは、ひょっとすると「ないものねだり」なのではないかと思われることがしばしばあります。つまり、精神現象の不思議さに関して、それを解明する見事な解説が求められていると感じることがあるのです。確かに、解明することは学問の重要な側面です。しかし、こと精神の現象に関しては、解明したと思ったその把握の指の間から砂が落ちるように実体が逃げ去っていくというのが、その特徴とも言えましょう。精神の現象には、その不思議さを括弧に入れ、それを尊重して接してこそ、その動きを制御しうるという側面があるようです。おそらく、このことは精神病理学にとって解明の試みよりも重要です。精神現象の不思議さに対して十分なリスペクトを払い続けること、つまり「ない袖を振って、わかったことにしてしまわない」ことこそが、精神病理学に真に有効な星座的な知を授けてくれるのではないかと思うのです。実際、精神病理学はこれまでも、精神現象の不思議さにリスペクトをはらいつつ、それについて考え続けるための概念、そして用語の多くを用意してきました。そのことこそが精神病理学の宝です。

 私は『臨床精神病理』誌の編集委員長をここ5年ほど務めてきましたが、2017年の1月をもって、兼本浩祐先生にバトンタッチいたしました。学会の事業は学術集会と雑誌の刊行という二つの活動です。この二つの活動を通して精神病理学を活性化していくことがこの学会の使命です。学術集会においても雑誌においても、真に実りある活発な議論が展開されることが学会の興隆の基本でしょう。それを実現するために必要なのは、日々の臨床から生まれてくる一つ一つの疑問であり、それらの疑問を集積していく地味な活動です。素朴な疑問こそ重要であり、それを議論の場に載せることがこの学問の基礎だと考えています。学術集会にも、機関誌にも、どうか多くの論考をお寄せください。
 特に、最後に付言しておきたいのですが、生物学的研究に従事してきて、そこでの知見と臨床的な出来事の間の関わり、あるいは懸隔について、様々な思索を重ねてこられた先生方の論考もぜひお寄せいただきたいと考えています。そうした営みには、いま私たちが直面している困難に対する大きな示唆が含まれていると思うのです。
 いま、我々の学問に必要なのは、硬直した見方を打ち破ることです。この学問の射程の長さと、扱える領域の広さについて、いま一度とらえ直したいと思っています。
 「精神病理学よ、前へ」、これが私の一番の想いです。

2017年1月吉日